旧世代とのモチベーション格差を解明する本3冊(下書き)

ソフトウェア開発をやっていて、上司がすごい働くんですね。残業は午前様が多いし土日も出っぱなしみたいな。

もちろん巻き込まれていて残業は多いし徹夜になることもある。

さらに、時代が違うと言いながらも働かないぼくらに不満があるみたいでね。

理解しあえないかもしれなくても、上の世代を理解したい。モチベーション格差を理解したいって気持ちがあります。

その結果が生活がよくなるとよいです。

そこで調査をしようかと。どうも働いていても理解できなかったので書籍にヒントを求めようと思っています。

ひとまず参考書を貼りましょう。できたらまとめてみましょう。

モチベーション革命

これはモチベーション格差の謎を解くうえでメチャクチャ役に立ちそうです。というか答えが書いてある。

そして処方箋もあるのだろうか。

面白い試みとして、複数のメディアで全文公開すると言っています。実際は全部じゃないところが著者の特質か。。

序章のポイントを引用しましょう。

団塊世代より10年以上も上の彼らは、戦後の何もなかったころに、欲望と共に成功に向かって駆け抜けました。お金を稼ぎたい、広い家を建てたい、いいクルマを買いたい、きれいな女性を抱きたい。 欲望への飢餓感と上昇志向と共に成り上がっていきました。ないものを、いかに埋めるか。それが最大のモチベーションだったのです。 しかし、時代は大きくうつり、今の30代以下は団塊世代以上とは全く異なる価値観を持っています。生まれたころからすでに何もかもが揃っていたので、物や地位などを欲して頑張ることはない。埋めるべき空白が、そもそもないのです。 そう、あなたには生まれたときから「ないもの」がない。だから何かが欲しいと「乾けない」。 だから、あなたの世代のことを「乾けない世代」と呼ぶことができます。あなたは、出世や金銭的な成功というニンジンを目の前にぶら下げられても走らない。 だからといって本当にあなたには欲望やモチベーションがないのでしょうか?

大事なポイントを1章から引用する。

■何もなかった世代と「すでにある世代」 旧世代のサラリーマンは、立身出世のためなら家庭を犠牲にしてしまうのが、むしろ美学とされてきました。残業して、接待して、汗ばんだシャツのままリビングで寝てしまう……。 たとえそんな姿を家族に尊敬されなくても、彼らには「自分たちこそがこの国を作っている」「この社会を支えている」という自負があった。個人という小さなものより、もっと大きなものを一心に見つめてきたのがこの世代でした。 そんな背中を見てきた30代以下の「乾けない世代」にとって、最も犠牲にしたくないものが「自分の時間」です。出世につながるとしても、付き合いのための飲み会に無理やり連れて行かれるくらいなら、出世なんてしなくていいから、家に帰って家族と温かいご飯が食べたい。気を許せる友人たちと楽しく過ごしたい。趣味の時間を充実させたい。仕事が絶対ではなく、仕事と並列に、家庭や自分の時間を大切にしたい。 何より、どうしてそれらを犠牲にしてまで仕事を優先しなければいけないのか分からない。 ■自己成長と社会貢献がつながっていた 「乾いている世代」 旧世代は、「世の中の空白を埋めるように」仕事をしてきた世代です。社会にないものを生み出し、収入を増やし、家のテレビを白黒からカラーに変えて、電車通勤から車通勤に変えていった。彼らが幸福だったのは、何かを達成することが、同時に社会貢献につながっていたからです。 例えばトヨタは、会社が大きくなればなるほど、お膝元の豊田市が豊かになっていく。トヨタのテレビCMが流れるようになると、「トヨタで働いているの?」と羨ましがられる。旧世代は、自分の成長が同時に会社の成長になり、それが社会の成長につながっていくのを実感することができた世代なのです。 さらに、仕事で良い成績をおさめ、何かを達成すれば、今までできなかったことができるようになる。海外旅行に行けるようになったり、会員制バーのVIPルームに入れたり、美女と付き合えるようになったり……。そういうご褒美がもらえることが、モチベーションにつながっていきました。 いわば「乾いている世代」である旧世代のモチベーションは「国」や「社会」を動かし、支えていくという「大きな枠」で作り上げられてきました。 一方、「乾けない世代」のモチベーションは「家庭」「友人」「自分」という、「小さくて身近な枠」で作り上げられています。 なぜなら、旧世代がある程度社会を作り上げてしまったので、乾けない世代は「すでに作り上げられた社会」の上に立たされている。「大きな枠」はもはや変えようがないから、「小さくて身近な枠」を大切に生きていく。 けれど、働き方のルールだけが変わらないから、もう何かを建てる余白は残っていないのに、旧世代からは「これを持って戦え!」と、とりあえずトンカチを持たされている。そんな、とんちんかんなズレが生じています。 社会も経済も激変したのに、働き方のルールは変わらない。このズレを認識しないと、「乾けない世代」の力を引き出すことはできません。

フルサトをつくる

この本も働き方に関する考察があります。この歴史は目からウロコだったです。いくつかの生業を持つ方法はかなり有効そうに見えます。

ただ、個人的な事情ではじめたわけなんですが、それだけじゃなく他にも理由があります。 学校卒業したら、いきなり一個の仕事に従事してずっと同じ仕事し続けるというのはなんか無理がある。 というのも今でこそ一つの組織に所属して一つの仕事をずっとやるという生活は常識になっていますが、歴史的に見たらそうでもなく、今の働き方は歴史上ある意味異常なものです。せいぜい100年前は、色んな仕事をして生計を立てている人が大半でした。 で、なんで今みたいになったかというと、高度経済成長期に、日本は国が一つの株式会社のように経済成長のためにいろんな生業をしていたなかで、雑多な生業を切り捨てて、国として儲かる産業に人を集中させたからです。 田舎から列車に乗って都市へ集団就職した、という映像を見たことがある人もけっこういると思います。めちゃめちゃ仕事の多様性をここで減らしたわけです。で、繊維とか車とか工業製品をつくりまくった。 どれだけ仕事の多様性が減ったかというと、大正9年国勢調査で国民から申告された職業は約3万5000種、現在の厚生労働省の「日本標準職業分類」によれば、今は2167職種。 わずか100年ぐらい前にはかなり仕事の多様性があって、日本人はそれぞれの適性に合わせて生計を立ててました。季節ごとに3つぐらい仕事をしていた人は珍しくないはずです。 その多様性を切り捨てて仕事を専業にして絞り込んで頑張って経済成長してきたのがここ数十年の日本なのですが、専業化しすぎて生活がおろそかになりました。 言い換えると生活と仕事が乖離してしまったわけです。仕事ばっかりして、自分の生活がサービスに依存しすぎている、ということです。 今流行のライフワークバランス、という言葉自体が端的に生活と仕事が乖離していることを表しています。 で、こういう働き方を続けて健康にいいかというと人間そこまで丈夫ではありません。私の身の回りでも、うつ病になって会社を休職した人や辞めた人が10人以上は軽くいます。やはり、これは歪みが出ていると思います。 1個の組織で1つの仕事を毎日決まった時間に行う、という生活は人類の歴史では異常なことなので、合わない人がけっこういてもおかしくない。 そこでナリワイは、そもそもライフとワークのバランスを考えるのではなく、生活から乖離してしまった仕事を個々人の手の届く範囲のほどほどの距離に近づけることを目指しています。いうなれば生活と仕事の一体化です。 そのためには一つの仕事だけで競争を勝ち抜くのではなく様々な仕事をその適正サイズを見極め、それぞれを組み合わせて生計を建てていく、という百姓的な作戦や、そもそも生活の自給度を高め、不必要な支出をカットするという作戦の合わせ技が必要である、と考えています。一個だけで「食っていこう」とすると、大きな投資が必要だったり、かなりの競争を勝ち抜くための努力が必要になってきます。なかなかしんどいことです。 人生を盗まれない働き方 | ナリワイをつくる

フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

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一つの仕事しか持たないから無理な仕事もやらなきゃいけないって状況はあるかもしれない。

そして今は仕事に関する情報がネットで流れているから、必ずしも所属している会社がベストじゃないし下手だってことが平社員からもわかってしまう時代です。だから帰属意識は薄れるのかも。選択肢は他にもあることがバレてしまったと。

転職しづらいのも一つの仕事を持たないのが理由なので複数の仕事を持つことは有効そうです。

残る一冊は

なんだかあったけど忘れました。

思い出したら書く。